特集祭りのごちそう
夏から秋にかけての珠洲は、一年のうちで最も活気づく。
その理由は、毎日のように各地域で催されるキリコ祭り、
そして祭りと共に行われている風習「ヨバレ」だ。
親戚やお世話になっている人々を自宅に招き、
漆塗りのお膳に乗り切れないほどのごちそうを振る舞う。
ヨバレ文化から見えてくる、珠洲の心に触れる旅へ。
海の彼方から訪れる幸を待った
古の人々と祭り
初対面だと少々ひかえめな珠洲の人が、ふと素顔を見せて、こちらの心も緩む瞬間がある。祭りの話をしたときだ。年配の方々だけでなく、20代、30代の若者も、人が変わったように目をキラキラさせて熱く語り出す。彼らにとって、祭りはそれほど特別なものらしい。
奥能登は祭りの盛んな土地として知られ、珠洲市内でも夏から秋にかけて各地で祭りが行われる。だから「珠洲の祭り」とひとことで言っても、いろんな形があるのだが、キリコと呼ばれる巨大な灯籠を担いで練り歩くのが、大きな特徴といえる。正院地区にある羽黒神社の高山哲典宮司によると、海に突き出た土地らしく、海洋信仰と深く結びついているのだそう。
「輪島の沖にある舳倉島の奥津比咩神社に祀られている女神は、8月23日の夜に海を渡って男神に会いにくるといわれ、その道案内をする明かりとしたのが、キリコの発祥という説があるようです」
ヨバレが育まれた風土の
おおらかさと懐の深さ
キリコ祭りと共にいつしか盛大に行うようになっていったのが、ヨバレという風習。祭りの日に親戚や普段お世話になっている会社の上司、同僚などを自宅に招いてごちそうを振る舞い、大宴会が繰り広げられる。これらは「月待ち講」という行事に共通点が見られるという。
「十五夜や二十三夜などに集まって、飲み食いをしながら月の出を待つのですが、もともとのヨバレはこれに近かったのではないかと考えられます」
ヨバレごっつぉ(ヨバレで振る舞われるごちそうのこと)は、各家庭の渾身の作といった感じで、見た目も内容も実に豪華。昔はたとえ懐が寂しくても、輪島塗りの器を揃えてヨバレに備えるのが、家を持つことの証だったのだとか。
「外浦ではサザエが必ずといっていいほど出てきますし、秋に祭りが行われる地域では赤飯に栗が入ります。タコと芋の煮物は、外浦では里芋を使い、内浦ではじゃがいもを使うので、違う地区に嫁いだりするとカルチャーショックを受けるようです」
ヨバレごっつぉを作るのは、女性たちの仕事だ。上戸地区に暮らす西田美洋子さんは、お姑さんからヨバレごっつぉの味を受け継いできた。
「今年はどうしようかなあって、ヨバレのことは一年中、頭の片隅にあるんだよね。多いときは、40人分くらいの料理を作ります。突然くる人もいるから、いつも多めに作っておかないとダメなのよ」
ヨバレに来る人は、祭りが行われている集落の家をハシゴすることが珍しくない。呼ばれた先で知り合いに誘われ、招待されていない家に流れで押しかけてしまうのもご愛嬌。招待する側も、お客さんが帰ってから「そういえば、さっきの人は誰が呼んだの?」なんてやり取りをするのも、〝ヨバレあるある〟なのだとか。ハレの日の高揚感も手伝うのだろうが、そのおおらかさや懐の深さこそが、奥に潜んでいる珠洲の人らしさのように思えてしまう。
さまざまな思いを込めた
彩り豊かなヨバレごっつぉ
ライフスタイルの変化により、現在は規模を縮小して、仕出し料理やオードブルなどでヨバレを行う家庭のほうが主流になりつつある。そんななか、ヨバレの食文化を守るべく、上戸婦人会会長の中板睦子さんを中心に、昨年8月に発足されたのが「上戸食文化研究会」だ。上戸公民館に月1回集まって行われる調理実習を見学させてもらうと、ベテランのお母さんたちだけあって、手際もお見事。今もヨバレごっつぉを手作りしている西田さんが、調理のコツをテキパキと指示していく。こんな頼もしい姿が、昔はどこの家庭でも見られたのだろう。
「家にたくさん人が来たら、子どもが何よりも喜ぶでしょう」
できあがったごちそうを味わいながら、一番大変なはずの女性たちがそんなことを言うのが印象的だった。
ヨバレとは、単に各家庭に呼んだり呼ばれたりする行為だけを意味するのではない。珠洲の人たちの折り目正しさや、伝統を重んじる気持ち、祭りを愛する情熱、そして人をもてなす細やかな心づかい。彩り豊かなヨバレごっつぉには、この土地を愛する人々のさまざまな思いが込められている気がした。
写真:志保石薫(上戸地区) 文:兵藤育子 編集:森若奈(『雛形』編集部)
- ストリートスナップ
- わるないわ〜投稿写真ピックアップ